すでに書き足したいところやら直したいところが出てきているのですけれど、とりあえず一度最後まできちんと書きたいと思います。推敲はその後で……。
力尽きてしまったので今日のところは中途半端に上げておきます。
あともう一回くらいで終われると思います。
図らずも念願だった「連続更新」ぽくはなっていますけれど、本当はもっと余裕を持って、しかも特別コーナーみたいの作ったりしたかったのです……。

拍手を押してくださった方、どうもありがとうございます。
たくさん押していただいて本当に嬉しいです。
ご期待に添えているやらと思いながらも、ありがたく拝見しています。
コメントをくださった方もありがとうございます。
明日にでも改めて返信させていただければと思います。

続き

その光景を見た時、足元から世界が崩壊していくような思いだった。
経験はないが、きっと旗艦が被弾し宇宙へと投げ出される瞬間、こんな感触がするのではないだろうか。

ロイエンタールは苛々とした気持ちを抱えながら足の向くまま歩いていた。
朝から妙にそわそわしていた弟は、さりげなさを装いながらも明らかに早く家を出て欲しいような態度だった。
ここのところロクに会話もしようとせず、さらにそのような態度をとられては、おれがいるのがそんなに嫌なのかと思わずにいられなかった。
ことさらゆっくりと朝食をとってみたものの、緊急の仕事ではないとはいえ遅刻するわけにもいかず、どうしたって出発時刻はくる。
いってらっしゃいと見送る弟の笑顔も憎たらしいだけだ。
仕事も仕事で書類整理だのと大したものでもないのに、むやみやたらと細かく注文をつけてくる軍務省の連中に嫌気がさした。
うんざりしながらも文句などひとつもつけられないほど完璧に、しかも早くやり遂げて押し付けてきた。
ふとミッターマイヤーの名前が聞こえ、もしやあいつの差し金かと疑ってしまった。
しかしもしそうだったとして、先日急に弟を泊めてもらった借りもあることだし、どこか浮ついた弟は家にいてほしくなさそうな雰囲気だったこともあり、今日の勤務もそれほど苦にはならなかった。
苛立ちに任せて勢い良く仕事を片付けてしまったため、思ったより早く帰路についた事の方がむしろ厄介だった。
どうせ家にまっすぐ帰ったとしても、朝のあの態度では、家にいてもそうくつろいでもいられないだろう。

いつからこうなったのだろう。
思い返せば何週間か前からぼんやりとしていることが多かったように思う。
特にミュラーが帰ってこなかったあの日は散々だった。



最近様子のおかしい弟を気遣ってなるべく早く帰るようにしているというのに、終業時間間際になって緊急の会議に出なければならなくなり、いつもより遅くなってしまったと焦って帰れば弟は未だに帰って来ていないという。
夏もすぎれば夜は早くやって来る。既に暗くなっているというのに、執事にも自分にも何も連絡はない。こんなことは初めてだった。
ロイエンタールが遠征で長く家を空けるようなときは、たまに級友の家に泊まりに行くこともあるそうで、そうした場合は必ず事前に伝えているはず。
家出か誘拐かとしか考えられず、探しに行こうか、遅くなっているだけだと言い聞かせて家にいるべきか考えた挙句、地上車のキーを手に取った。
子どもが危ない目にあっているかもしれないときに、何もせず待っているだけなど出来るわけがなかった。
ミッターマイヤーからのヴィジフォンが入ったのはちょうどその時だった。
一瞬誘拐犯からの連絡かと思ったのは一生誰にも言わないでおこうと思う。親友がよくからかうような「兄バカ」であると認めるようなものだったから。
ミュラーが無事であることに安心するのと同時に、心配ばかりさせる弟に苦言を呈したかった。
早く無事を目で見て確認したかったのに、夕飯を向こうで食べるどころか泊まるとまで言い出して苛立ちが増した。

「急に厄介になっては奥方にも迷惑だろう。
 おれが迎えに行くから、それまで置いてやってくれ」

建前が9割以上を占めるような発言でなんとか帰ってこさせようとしているのに、親友の明るい笑顔で阻止された。
彼の子ども好きは知っているし、「弟のいる気分を味わいたい」などと言われると断れない。
夫妻の間に子どもがまだいないこともあって、ロイエンタールはしぶしぶ了承せざるを得なくなったのだった。
帰ってきたら嫌味の一つや二つは覚悟してもらうと内心で勝手に決めた。
しかしでもきっと、まず一番には抱きしめたくなる自分をはっきりと自覚していて、厳しく叱りつけるよりも笑顔で抱きしめることが、果たして自分に似合っていることだっただろうかと思い出せずにいた。

ミュラーのいない自宅での夕食も久しぶりだった。
シェフの腕前は変わらないはずなのに、なんとも味気ない食事だ。
いつもなら何かと子どもが話しかけてくるのだが、今日は食べることに集中しているだけだったため早く終わってしまった。
入浴だって子どもがいなければあっさりと終わってしまう。
早々と自室に引き上げたけれど、寝るまでの時間を持て余すだけだった。
いるはずの人間がいないというのはこれほど気になるものだっただろうか。
なんとなく落ち着かなくて、本を開いてもちっとも内容が頭に入ってこない。
今何をしているのか、気になって仕方がなかった。

あきらかに何かに悩んでいる様子だったのに、ロイエンタールには何も相談してはこなかった。
普段あれほど、どうでもいいと思うようなことですら何でも話してくるあの子どもが。
子どもという生き物がとにかく怪我をよくするものであるというのは知っていたが、それでも近頃は多すぎるように思っていた。
日増しに増えていく絆創膏に、ミュラーはあからさまに嘘だと分かるような物言いで言い繕っていた。
嘘をついているのは簡単に見破れるのだが、何故そんな嘘をつく必要があるのかは分からなかった。
何かおかしなことに首をつっこんでいるのか、危険なことに巻き込まれているのか、そのくらいしか思いつかない。

今日、ミッターマイヤーの家に急に泊まるなどと言い出したのは、それと無関係とは思えなかった。
ロイエンタールには言えなくとも、ミッターマイヤーになら言えることがあるのだろうか。
一般的には子どもからするとミッターマイヤーのような人間のほうが親しみやすいだろうし、自分でも気安く話しかけやすいタイプだとは思えなかった。だから当然なのかもしれない。
まだ子どもが家に来たばかりの頃はよかった。
あの頃はまだ学校にも行っておらず、近所に知り合いもいないため、子どもから向けられる好意は自分だけのものだと思えた。
ミュラーが来てから初めて親友の訪問を受けた日のことを思い出す。
あの時なるべくならミッターマイヤーと子どもを会わせたくないと思ったのは、こんな人の家に引き取られたかったなどと思われたくなかったからだ。
与えられなかった愛情とやらを必死に真似ても無意味にしか感じられず、愛情の代わりとでも言うように子どもには余るほどの金を与えれば、そちらには手をつけず家の手伝いをして手間賃を貯めているのだという。
これ以外の愛情表現を知らないだけに、渡した金が使われないのは、気持ちを受け取ってもらえない感覚に似ていた。
肉親からもらう小遣いを律儀に全てとっておく子どもなどいないだろう。
子の性格からして遠慮している可能性もあるが、他人同士であるという明確な線引きをされているようにしか思われなかった。
金などでは人の心を繋ぎとめられないのだとしても、他に引き止められるような手段を何も持っていないのだ。
むしろ逆に与えた金は全て使い果たした挙句に金をせびるような子どもだったら、ここまで悩むこともなかったかもしれない。
けれど律儀に過ぎるあの子どもだからこそ、繋ぎとめるためにここまで苦心するのだ。

まったく保護者になんてなるものではない。何一つ思い通りになんてならない。
愛人だったら外泊を拒むことなんて簡単にできるのに。
保護者なだけだと、過保護だとかなんだとか言われて、大事にしたいだけのことが簡単に行かなかったりする。
そうだ。もし愛人だったなら、外泊どころか自分以外の人間と必要以上にしゃべるなだとか言えただろう。
愛人だったなら。

そこまで考えて、足音を忍ばせてやって来つつあった睡魔が裸足で逃げ出すほどロイエンタールは驚愕した。
愛人だったなら、だとは。
一回りも年下の少年に何を考えているのだ。
これでは「溺愛している」とからかってくる親友に何も言い返せないではないか。
自分は単に戦死した上官の子を預かる身として、保護者の立場で大事に思っているだけだったはず。
しかし保護者といえども女児ならいざ知らず、男児の外泊を快く思わなかったりするだろうか……。
一体自分がどうしたいのか、ミュラーにどうしてもらったら嬉しいのか全く分からなくなってきたロイエンタールは、そのまま夜が更けてもずっと考え込んでいた。

そんな状態で迎えた翌朝、まだ一般には早いといえる時間にようやく弟は帰宅したのだった。
昨日よりずっと晴れやかな笑顔でいる弟に、朝帰りかと嫌味を言う気力もなく、のんきに「ただいま~」と飛び込んでくる子を抱きとめた。
今はまだこの場所が彼にとっての「家」であることに、寝不足でややぼやけた思考でも安堵する。
朝食は食べさせたとだけ言い残した親友を見送って、腕の中の存在に向き直った。
怒られると思ったのか、弟は目が合うなり謝罪の言葉を口にした。

「昨日は連絡しないでごめんなさい。心配したよね?」
「全く、どれだけ心配したと思ってるんだ。遅くなるなら先に言うように言ってあっただろう」
「ごめんなさい。次はちゃんと気をつけるね」

しゅんと目を伏せる彼の頭を撫でてやると、すぐに嬉しそうな顔になった。
どれだけ遅くなっても、日付が変わっても、朝帰りでも何でもいいから、ここに帰ってきてほしい。願うことはそれだけだった。

「もし……」
「え? なあに?」

もし、これから先ずっと、ミッターマイヤーの家で暮らすことになったら嬉しいかとは、聞けなかった。
その日は一日かけても、その疑問を口にすることはできずにいたのだった。



どこに行くのが目的でもなかったし、少し身体を動かそうと歩いて街まで出た。
適当にぶらついてみようかと思った矢先、車道を挟んだ向こう側の道を見て目を見はった。
昨晩帰って来なかった砂色の髪の子どもが、親友と歩いている。
しかも楽しそうに手をつないで。
自分とはもう長いこと手などつないでいないのにもかかわらず。
恥ずかしいのは自分と手をつなぐことであって、ミッターマイヤーとなら恥ずかしくないのだろうか……。
そもそも不快になることが分かりきっているから面と向かって聞いたことはないのだが、何故ミッターマイヤーは「ウォルフお兄ちゃん」で自分は「兄さん」なのだろう。
ミッターマイヤーが「お兄ちゃん」だったらよかったのに。
言われもしていないのにそんな声が聞こえた気がした。