書き終える自信がないので切りの良いところまで上げておきます。
今回はミュラー視点です。

拍手を押してくださった方、どうもありがとうございます。
慣れない長文で四苦八苦しているのですけれど、読んでくださる方がいると思えばやる気も増します。
気長にお付き合いいただけると幸いです。

続き

上手いことごまかしながらお手伝いに精を出すのにも限界があるのだろうか。
最近兄の帰りが早いような気がする。
いつもなら嬉しいことだが、今はなんとも都合が悪かった。
よく手伝うことで褒められるのはもちろん嬉しいけれど、何故最近になって手伝いを増やしたのか不思議に思われても困る。
勘のいい彼のことだ。すぐに誕生日プレゼントを用意するために頑張っているんだろうと気づかれる可能性がある。
それではサプライズにならない。
何でもない風を装いながら、当日あっと驚かせる。言葉にすればたったこれだけのことが、これほど難しいとは。

帰りが早くなったと思ったのは、決して気のせいではなかった。
兄の親友の話では、どうも普段と様子の違う僕を心配して、無理に早く仕事を終わらせて帰宅を早めているらしい。
どきりとした。昔から嘘や隠し事が出来ないという自覚はあったが、それでも努めていつも通りを演じていたのに。
先日突然ミッターマイヤー家に泊まったりなどしてから、余計に顕著になったように思う。
実際彼は色々なことをよく見ているのだった。
手伝いを増やしたため、些細なものだが何かとケガもするようになってしまった。
風呂掃除をしてタイルに滑って転んで尻餅をついた程度ならバレることはないからいいのだが、草むしりを手伝って葉で指を切ってしまったり、書斎の本を片付けようとして棚に肘を打ち付けて痣が出来たりすると、いちいち目ざとく見つかってしまった。
その度に「体育の授業で転んだ」だの「図工の時間にカッターが当たった」だの言い繕ってきたのだが、度重なってくるそれらがどうも怪しまれているらしい。
執事が気を回して、もしかしたら絆創膏を貼るから却って目立つのかもしれないとわざわざ塗り薬にしてくれたのに、それでもすぐにバレてしまうのだった。
そして最近では先回りして「それも授業中にやったのか」等と、疑っているぞと言わんばかりの目で言われたりもする。
何か危険なことに首を突っ込んでいるんじゃないかとか、何か悩みがあるんじゃないかとか……。
大好きな兄を驚かせて喜んでもらいたいと始めたことなのに、それで兄を心配させているだなんて本末転倒な気もする。
「お誕生日楽しみにしててね」と言うことが出来れば済むのだけれど、ここまで来たら当日まで絶対内緒にしておきたかった。

なにせ自分だけのことじゃない。執事を始め家の人達やミッターマイヤー、その奥方にまで話が広がっているのだ。
みんなが力になってくれているのに、今更計画をばらすだなんて出来なかった。
特に使用人の人たちには申し訳ない思いだ。
もう少し僕が器用にやれればいいことなのに、すぐになにかやらかすものだから、危ないことは避けて僕に仕事をよこしてくれるのに、どうしてすぐ僕はケガをしてしまうのだろう。
洗い物や食事の支度を手伝うときもナイフなんかの刃物は触らせてもらえなかったし、絶対何かやらかしそうな脚立に登ってするような作業は回されてこない。
ケガをさせないようにかなり気を使ってもらっていると僕でも分かるくらい配慮してもらっているのに、それをことごとく無駄にしていくかのような勢いで僕は何故かケガをしている。

使えない子どもだと投げ出さないでいてくれる彼らには頭が下がる思いだ。

今日も既に兄は帰宅していた。
一緒に夕食をとった後、何か言いたげな兄を残して急いで階段を駆け上がったのだった。
兄と話していると言わなくてもいいことまで言ってしまいそうになるから。
以前は帰りが遅い日が続くと寂しくて泣きそうになっていたというのに、どうして今の僕はせっかく家にいる彼に会うこともせず、こうして部屋にこもって必死に絡まった刺繍糸をほどいているのか……。
これも兄に喜んでもらうためと、会いたい気持ちをぐっとこらえて、僕はひたすら糸と格闘していたのだった。

そんな数日を繰り返した後、週末はやってきた。

やった!

口にするわけにはいかないから思わず心のなかで呟いてしまったが、嬉しそうな顔をしなかっただろうか?
休みの前日、ミュラーは明日の予定をロイエンタールにさり気なく訊いてみたのだった。

「明日か? 明日は休みだが用があって軍務省に出向かなければならん。昼過ぎには終わる予定だが……それがどうかしたのか?」
「あ、ううん! お、お休みの日なのに大変だね! じゃ、ぼく、お風呂入ってくる!」
「……」

目を細めた兄から逃れるように、急いでミュラーはバスルームへと向かった。
明日はミッターマイヤーと出かけるのだけれど、どう言って出かけたものかずっと悩んでいたのだった。
適当に「友達と遊びに行く」と言えば済むのだけれど、今まで兄がいる日は兄を優先してきたのに、今になって急に友達を優先するのもなんだか自ら疑いを招くような気がする。
だからといって用件が兄のプレゼント選びなのだから、兄を連れ立って行くわけにはもちろんいかない。
それがなんと明日ロイエンタールが不在になるとは。
こうも都合よく事が運ぶと、明日は下見の予定だけれど、案外いいものが見つかって買えるかもしれないと思えた。
そうなると言わんばかりの展開にどうしても口元が緩んでしまう。
お風呂から出たら、貯金箱の中身を確認しておこう。
鼻唄でも歌いそうな勢いでミュラーはバスルームの扉を開けた。

翌朝はロイエンタールを見送ってから、待ち合わせの場所に急いだ。
ロイエンタールがいる間は出かけられなかったため、少し遅れてしまった。
案の定ミッターマイヤーは既に待ち合わせ場所に立っていて、自分の都合で休日付きあわせてしまっているのに申し訳ないと、さらに駆け足で近寄った。
目が合った瞬間に謝ると、ミッターマイヤーは怒るでもなく、笑って言った。

「構わんさ。大方ロイエンタールがなかなか出ようとしなかったんだろう。
 今日の用事もおれが適当に見繕っただけのもので、大して急ぐ必要もないとはいえ……」

苦笑するミッターマイヤーを、ミュラーは意外な思いで見上げた。
大神か、あるいは天上の両親が味方をしてくれたのかと思っていたロイエンタールの休日勤務が、まさかこの人のおかげだったとは。
自分にも優しくしてくれるこの人も、ロイエンタールに引き取ってもらわなかったら出会うこともなかったのだから、兄には本当に感謝しきれない。
ミッターマイヤー夫人も、執事も、使用人も、なんて優しい人達ばかりなんだろう。
それら全てのお返しに値するものが、宇宙のどこかにはあるのだろうか……。
胸の詰まる思いで見つめるミュラーの視線を、ミッターマイヤーは別の解釈をしたようで、慌てて言い添えた。

「別に、おれの仕事を押し付けたわけじゃないぞ。結果的にはそうかもしれんが、前に賭けをしたときのツケをまだ払ってもらっていないからな。
 誰がやってもいいような仕事を少しやってもらうだけだ」

後でワインの一杯でも奢っておけば帳消しだろうと、ミュラーではなく自らを納得させるようにそう締めくくった。

「よし。おしゃべりはこのへんにしておいて、じゃあ、行こうか」

二人は並んで歩き出した。
住宅街を抜け街中へ出ると、さすがに休日だけあってかなりの人出だった。
楽しそうな人々を見ていると、それだけで何かいいことがありそうな予感にわくわくしてくる。
よそ見をしていたミュラーは、ミッターマイヤーが振り向いてきたことに気づくのが遅れた。

「?」

何だろうと首を傾げると、蜂蜜色の髪をした彼は笑顔で手を差し出してきた。

「ん」

どう見ても手をつなごうという意思表示だった。
けれど兄と出かけるときにだってもう手を繋いだりしないのに、たくさんの人通りの中で小さな子どもみたいに手をつなぐのはなんとなく憚られた。
ミッターマイヤーやロイエンタールからするとまだ「小さな子ども」なのかもしれないけれど、子どもの方からするといつまでも「小さな」ままでいるわけではないと主張したい。
兄に対してなら「もうそんなの恥ずかしい」とはっきり言えるのだが、プレゼントを決められないミュラーのためにわざわざ休日を割いて付き合ってくれているミッターマイヤーに対しては言いにくい。
普段から弟のように可愛がってくれているし、自分と出かけることが心底嬉しそうなのでなおさら無下には出来なかった。

「はぐれたら危ないから手をつなごうな」

にっこりと純粋な笑顔を向けられたら、最早手をつなぐ以外の選択肢がミュラーには残されていなかった。
明るい日差しが蜂蜜色の髪に透けて反射するのに負けないくらい、グレーの瞳が輝いている。
数秒の間困ったように見上げていたが、やがてミュラーは観念したようにおずおずと手を絡めた。

誰かと手をつなぐのは久しぶりだった。
自分より大きな手であることは兄のそれとも変わりはないが、繊細で細長い指を持つ兄とは違い、ミッターマイヤーの手は厚みがあって軍人らしいそれだった。
兄はいつもどこか壊れ物を扱うような優しい力で握り返していたけれど、彼の親友は力強くぎゅっと握ってくる。
そして暖かいと思った。
ロイエンタールの手は少しひんやりとしていたから、余計にそう感じるのかもしれなかった。
人柄と同じように温かい手は気持ちが良く、なんとなく勇気づけられたように思えて、きっといいものが見つかると、そんな予感がした。

「じゃあ、どの店から見ていこうか」

頼もしく手を引っ張ってくれる彼の後について歩き出す。
一旦握り返してしまえば、手を繋ぐ前に迷っていたほどは気にならなくなった。
相手に負けないくらいの力を込めて、ミュラーは手を握っていた。