雨の夜

 昼過ぎから激しく窓を叩いていた風の音は身を潜め、雨の音も耳を澄ませなければ聴こえないほどになっていた。
 ベッド脇の大きな窓からは漆黒の闇と、雨にぼやけた街灯の灯りがぽつんと見えるだけだった。
 しとしとと部屋を撫でるように柔らかく降り続ける雨音を聴きながら、腕の中で眠る小さな存在に目をやる。
 ベッドの上で2人というにはちっとも色気のあるものではない。
 なぜならば腕の中の存在とは幼子でそれも男の子だからだ。
 ロイエンタールのシャツにしがみつくようにして眠っているその子どもの名はナイトハルト・ミュラー。ロイエンタールからすると弟でも甥でもなければ、子でもない。
 世話になった上官の子で、戦争孤児となったためこの家に居候することになったのだ。

 自分が子どもの世話をすることになるとは思っていなかった。
 親になる資格も無ければ、生まれてくるべきではなかったとすら思う自分と言う存在にそのような事態が降りかかってくるとは。
 あっさりとこの家での生活に馴染んでしまった子どもにも驚くが、それを受け入れてしまった自分の方にむしろ驚きを禁じえない。
 はじめは金銭での援助だけすれば、あとの面倒は執事にでも見てもらえばいいかと思っていたのだ。
 なにしろ自分の方こそ親の愛情を受けて育ったとは言いにくい。自分に施されなかったことを人にするにはその方面の知識と経験は少なすぎた。
 学業も手を抜いたりはしなかったし、女性を口説くにも何ら困ることは無いと自負していても、まだ足りない知識はあるものだと認めざるを得ない。

 そもそも女性受けはともかくとして、自分はあまり男性、それも子ども受けなどしない性質だと思う。
 子ども受けすると言えば親友であるミッターマイヤーのような男だろう。明朗快活で親しみやすい気さくさを持っている。ロイエンタールはその真逆といえた。
 それなのに執事に任せておけば、ロイエンタールの帰りを眠りに落ちるまで待ち、会話をする暇がないと寂しがって泣くのだという。
 時間の合うときだけでも食事を共にすれば喜ぶし、せがまれて一緒に入浴すればのぼせるまではしゃぐ。

 これまでに受けたことも無いどこまでも純粋な好意に、気づけば自分の方こそ手放せなくなっていた。
 にこにこと愛想もいいし礼儀正しい彼は、執事はもとより使用人の女性からもたいそう可愛がられているようだが、何故だかロイエンタールに一番懐いていた。自惚れではないはずだ。
そんな彼が我がままを言うことは少ないのだが、雨の夜は怖がって震えて泣くものだから共に寝ることが慣例となってしまった。
 ここに来て一週間ほど経った日の夜もそうだった。
 聞けば彼の父が亡くなった日も、その知らせを受けた日も、母が亡くなった日も雨が降っていたそうだ。雨が全て奪ってしまうと思っているらしかった。
 それが怖くて哀しくて、小さな肩を震わせる子どもを拒否することなど出来るはずもない。
 もしかするとこの子どもにしていることは、ロイエンタール自身が両親に望んでいたことなのかもしれなかった。

 白い頬をそっと撫でる。
 柔らかくて、あたたかい。
 女に対しては感じたこともないのに、どうしてこれだけで満たされる思いがするのだろう。
 血縁でもないというのに。
 彼がこの先いつまでも雨に泣く子どもでいるわけでもないし、ずっと自分の手元にいるのでもないだろう。
 だからこの時間をかみしめたいと思った。
 子どもを抱えなおし、砂色の柔らかい髪に顔をうずめる。

 雨はもう、上がっていた。
(2011.8.1)
これからいくつもの夜を越えるふたりの一夜